師の青邨けられ、主宰誌「藍生」を創刊すると、その活発な意思は百観音巡り。
四国八十八か所巡礼、日本列島桜花巡礼などに向けられ、まことに精力的に各地を訪ねて回っている。
「現地へ出かけてゆくことは即ちその場に存在する地霊に出合うこと」という。
「地霊は実際にその地を踏んだ足の裏から全身にのってくる」という。

  しかもそれは単独行ではない。常に衆というべきひととともに、ひとびとを導きつつの。
同行二人のひとつのかたちともいうべき行脚だった。

  そうした活動の中〈花巡る一生のわれをなつかしみ〉〈花に問へ奥千本の花に問へ〉と。
いった作品が産み出されていったのである。
その極めつけが、一遍誕生寺という松山寶厳寺における上人像との出逢いだろう。
〈稲光一遍上人徒はだし〉はそれこそ歩く足の裏からのぼりきたった一句だったといっていい。
(  日経  黒田杏子さんを悼む より  )