違う。楽しくなったわけではない。叶うなら、私は一日中そこにいたかった。
ただそうすれば、その間、彼はずっと不機嫌でい続け、後日、何かにつけて小言を言われただろう。
だから小学生の私は大人の顔色をうかがい、自分の気持ちに蓋をしたのだ。

だから今回、自分がその場を楽しめた事実に、私は深い安堵すら覚えた。
あの時、もう帰ろうと言ったのは、やはり本心ではなかった。
小学生の自分に、あなたは本当はこのここが好きなんだよとやっと伝えられた気がした。

他人はどうしても、他人の顔色をうかがうものだ。
むしろ世の中が周囲を気にせぬ人ばかりであれば、この世はひどい諍いの坩堝と化していよう。
ただ人に気を使うことと、自分の好きなことや望むことまで我慢することは全然違う。
なぜなら自分の「好き」を殺すとは、間接的に自分で自分を傷つける行為なのだから。

少女の私はその違いがかわらず、自分さえ我慢すればと思っていた。
その誤りに気付いたのはごく最近。そして人間には、いつでも己の「好き」を取り戻す権利がある。
(  日経 文化  ディズニーランドと一眼レフ より  )