今日は、小雨が降ったりやんだり。
大川(旧淀川)の川面には、桜の「花筏」が、流れています。
今日から、「大阪・関西万博」が、開幕です。
石破首相も、「維新との思惑」もありますから、盛り上げるのに、一役買っているのでしょう。
これから、面白いニュースがあれば、「行ってみよう!」、なるのでしょうが。
私の周りでは、「万博!」「万博!」と、盛り上がっている人はいませんね。今のところ・・・。
私たちは、小さい頃から、「合わせる」「協調する」「協力する」などと、言われてきました。
「協力する」は、良いことでいいのですが、あまりにも「同調圧力」に馴らされてきたように思います。
そして、「常に『他人を気にする』」ということに・・・。
「テストの点数」「身長・体重」「運動能力」「給料の多寡」「結婚の時期」「子供の数」などなど・・・。
常に、「横並び」で、それに対して、プラスかマイナスか、・・・。
よく政治家も、「欧米では、○○」とか、いいますよね。
まあ、私の周りにも、「他人のことが気になる」人たちが、たくさんいます。
養老孟司の「バカの壁」の中に、精神病院で「弄便(ろうべん)で名前を書く」人も、「多様性」か、と。
そんな人は、日本人の「多様性」に、入れないだろう、と。
あまりに、「同調圧力」を強いられるのもイヤだし、「名ばかりの多様性」もイヤなものです。
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どの登場人物にを追いかけるかによって、ゲストが見届けるシナリオは異なる。
時には出演者の求めに応じて探し物をしたり、問いかけに意見を返したり。
コミュニケーションを通じて、物語の進行に関与する。総合脚本・演出を手掛けたのは、きださおり。
「生徒と教師は皆、人生における後悔がある。劇中ではゲストからのエールを受けて、その後悔を振り払う。
そして観劇後には『生きてさえすれば何度でもやり直せる』と。
ゲストの背中を押せるような物語を目指した」と力を込める。
クライマックスで生徒たちは、あるスポーツの試合に臨む。ここはシナリオがない真剣勝負。
いつ誰が得点を決め、勝敗がどう転ぶか、まったくわからない。
観客にとっても、それまで一緒に校内を歩き、なやみ、笑う姿を見届けてきた生徒たちだ。
プレーの一つ一つに歓声が上がり、ため息がもれる。
虚実の境が曖昧な極めてイマーシブな瞬間が現れる。
( 日経 文化より 「観客が回遊し物語りに参加」 )