身長170cm,体重81kg.通勤電車の1両に1人は乗っていそうな背格好の人物が。
ユニホームを着て打席に立てば本塁打量産のスーパーマンに、というところが痛快だった。
当然ながら、この体格で打球を飛ばすには人一倍の努力も要れば、工夫も要る。

「そこそこの頑固もんでないと、そこそこのものも残せないことがわかった」と。
19992年の引退記者会見で語っている。厳しい修練の末にたどりついた真理の一つだったようだ。
40歳で44本塁打を放って不惑の本塁打王になるなど。
通算567本塁打は王貞治氏の868本、野村克也氏の657本に次ぎ歴代3位。

「そこそこのもの」どころではない数字を積み重ねられたのは頑固ものだったから、という。
その自己分析の背景には南海ホークス(現ソフトバンク)のプレーイングマネージャーだった。
野村氏との打法を巡るやり取りがあったものと推察される。

一本足で勢いをつけ、おなかがよじれるくらいのフルスイングをしていた門田氏を。
野村氏は「狭い大阪球場(南海の本拠地)なら、振り回さなくても本塁打になる。
80の力で触れ」と諭していたという。
当てるだけで柵越えするのだし、その方が確立も上がる、というわけだ。
しかし、門田氏は首を縦に振らず、自分のスタイルを貫いた。

常に100の力でバットを振るからこそ、少々当たりが悪くても本塁打になり、安打になるという考え方だった。
(  日経  評伝  頑固もんが残した大記録 より  )