今朝の空は、風に吹かれて、掃き清められたように、雲がキレイに無くなっていました。
浅黄色の空が広がっています。
今日、アルバイトの帰りに、梅田のヨドバシカメラに寄ってきました。
シェーバー(ブラウン)の替刃を買うためです。
そこで、「パナソニックの6枚刃・シェーバー」のPRをしていたのは、なんと「中国人」の女の子。
パナソニックのユニホームを着て、流ちょうな日本語で、説明してくれました。
へーっと思いましたが、会計のところでも、今度は、「中国人」のヨドバシカメラのスタッフ。
ええ、このシェーバーの売り場って、全部「中国人」スタッフ?そんな感じがしました。
確かに、お客さんんも「中国人」が何人かいて、中国語が飛び交っていました。
しかし、どんなに流ちょうな日本語を聞かされても、「日本人」ではないと分かるのは。
微妙な言い回しや、表現が「そんな言い方はしない」と、ネイティブだったら、わかるんですよね。
反対に、私たちが外国に行ったも、「外人」だと分かってしまう、ということですね。
そんなことを、考えながら帰って来ました。
身長170cm,体重81kg.通勤電車の1両に1人は乗っていそうな背格好の人物が。
ユニホームを着て打席に立てば本塁打量産のスーパーマンに、というところが痛快だった。
当然ながら、この体格で打球を飛ばすには人一倍の努力も要れば、工夫も要る。
「そこそこの頑固もんでないと、そこそこのものも残せないことがわかった」と。
19992年の引退記者会見で語っている。厳しい修練の末にたどりついた真理の一つだったようだ。
40歳で44本塁打を放って不惑の本塁打王になるなど。
通算567本塁打は王貞治氏の868本、野村克也氏の657本に次ぎ歴代3位。
「そこそこのもの」どころではない数字を積み重ねられたのは頑固ものだったから、という。
その自己分析の背景には南海ホークス(現ソフトバンク)のプレーイングマネージャーだった。
野村氏との打法を巡るやり取りがあったものと推察される。
一本足で勢いをつけ、おなかがよじれるくらいのフルスイングをしていた門田氏を。
野村氏は「狭い大阪球場(南海の本拠地)なら、振り回さなくても本塁打になる。
80の力で触れ」と諭していたという。
当てるだけで柵越えするのだし、その方が確立も上がる、というわけだ。
しかし、門田氏は首を縦に振らず、自分のスタイルを貫いた。
常に100の力でバットを振るからこそ、少々当たりが悪くても本塁打になり、安打になるという考え方だった。
( 日経 評伝 頑固もんが残した大記録 より )