自分たちの土地と平和な日常を取り戻そうと行動する人々を同士の目で見つめ。
誇りや不安、怒りに寄り添っている点でも貴重な記録といえる。

  59年には、自分の畑に着弾した爆弾を拾い、スクラップにして生計を立てていた。
2人の青年が解体作業中に爆死する。

  ともに土地闘争の中心人物で、知らせを受けて駆け付けた阿波根は。
悲しみをこらえてシャッターを切った。

  写真という証拠を突きつけられ、米軍はようやく賠償に応じた。
写真は米軍に抵抗するための「武器」でもあったのだ。

  (  日経  文化 より 阿波根昌鴻 展 )