僕はそれを「慶応の子だからできたこと」とは思わない。
高校生はそこまで子供じゃない。

  ただ、ベンチに入れるか否か、もしくは試合に出られるか否か、・・・。
それこそ好きな野球を続けられるかという自分の修礼にも通じる生殺与奪を握られている。

  指導者を始めとする大人に対し、本心を打ち明けるべきじゃない。
いっそ思考すべきじゃないと刷り込まれているだけだ。

  もちろん、日本中の全選手に本音を聞いて回るなどできるはずがない。
選手は毎年入れ替わるし、その時々で考えの流行も変わるだろう。

  それでも、選手たちの考えを蔑ろにすることを認めたくはない。
僕自身が高校野球をしていた頃、何より厭忌していたのは。

  選手の気持ちを理解しているという顔をした大人たちの言葉だった。
それがどれだけ聞こえの良いものだったとしても、何もわかっていないくせにと鼻白んだ。

   (  日経 文化  より 「その声は、誰の声」 )