この事件で無実を訴える弟と、それを信じる姉の人生は大きく変わった。
姉の袴田ひで子さんは「元々明るいこういう人間なんですが、巌の事件があってからはもう笑いもしない。
笑いもないし、世間とはちょっとかけ離れて生活をしていた」と告白。

   1980年に最高裁で死刑が確定したが、ひで子さんは「最高裁で棄却されたでしょう。
その時にいる人全部敵に見えた。弁護士さんから支援者まで全部敵に見えた。
本当のこと言っているのに、こっちは。
それを『犯人だ』って言うでしょう」と当時の悔しい思いを振り返った。

   孤独な戦いに耐えきれず酒におぼれたこともあるというひで子さんだが。
それを乗り越えると一人でも闘い抜く決意をした。それが59歳で組んだ住宅ローンだ。

   ひで子さんは建物の場所を選んだわけについて「向こう三軒両隣がないところ。
うるさくない。お付き合いがなくていい」とコメント。

   59歳でローンを組んだ理由については「私の自分の生きる希望として建てた。
借金でもしていれば、自殺もしないだろうと」と語った。

(『ABEMA的ニュースショー』より)