不在だった。が、きのう電話で1時間も話し込んでしまった。
76歳の今も看護師の職歴を生かし働いているという。

   映画館の無い釜石市に監督らを招き、復興映画祭を企画した平松伸一郎さんが。
50代の若さで亡くなっていたことを知った。

   情に厚い親友の案内で、集落の共同墓地へ。戒名に「映」の文字が刻まれていた。
気仙沼市のバッティングセンターで空振りを重ね腰が痛い。

   津波で妻と娘を失った千葉清英さん(55)が野球好きの小学生の長男を励まそうと開業した。
帰り際、駐車場で偶然再会した千葉さんは「息子に古里を背負いすぎるな、と助言した」。

   彼は海外を巡り。、東京で自立したそうだ。14年の時の流れを感じる旅だった。。

     (  日経  春秋 より  )