選手側の声を吉田が吸い上げ、森保監督がそれらに耳を傾ける。
監督と主将の二人三脚によって森保ジャパンは運営されてきた。
9月の活動でプレス戦術が奏功したのは、吉田がチーム内の意見交換を主導したから。

W杯のスペイン攻略法も、選手の考えをまとめた吉田が監督に具申する形で生まれた。
2人の信頼のパイプがあってこそだった。

同じく8強の壁に阻まれた、4年前のロシア大会ベルギー戦との比較を問われた。
「あのときは時間が長引けば長引くほど、『きついな』(負ける)と。
でも今回は時間が長引くほどうちの特長が出せて、チャンスも増えるのではという感覚だった。
そういう選手がそろっている」。それが日本サッカーの成長も示している。

  34歳の一選手としてポジションを勝ち取り続けつつ、主将としての重責も両立させる。
並大抵のことではなかっただろう。「1試合の重みが全く違いました。覚悟ですね。
僕が変わったというより、変えてもらった、キャプテンという立場が自分を成長させてくれた」。
代表への批判を一身に背負いかねない重圧も「楽しんでいる自分もいて。
そのプレッシャーもあったから自分を律することが出来た」という。
引き受け、挑んだ吉田だけが手にできた、新しい境地と景色があったのだろう。

(  日経  ホイッスルの記憶 より  )