渡邊勝英。父の名前だ。
わたなべかつひで、と、読むのだが、父が名乗ると「かつひで」が「かチひで」に聞こえる。

   訛っているのだ。父は北海道南部の産で、あのあたり方言はズーズー弁とよく似ている。
今はもうでもないだろうが、父が生まれた昭和前期には、だいたいみんな。

   こういう話し方をしていたのではないかと思う。
父の言葉を聞くと、長い年月が溶け出しすような感じがした。

   知らないはずの「あの頃」が立ち上がってくるようだった。
渡邊勝英は1934年、北海道檜山郡江差町で生まれた。3歳で両親を失った。

   まず母親がカリエスで亡くなり、それを機に婿養子だった父親が離縁された。
断っておくが家の跡取りは別にいた。型通りの長男だ。

   父親が婿入りしたのは、祖父が病弱の娘を思ってのことだった。

       ( 日経  文化より  「父のこと」 )