2011年の世界選手権代表に選ばれて世界と戦うイメージが膨らみ。
16年リオデジャネイロ五輪で積年の土台作りが結実した。
身長180cm長い手足から売る推進力と粘り強さで3位に。
終盤で抗議を受けて一度は失格とされたが、日本側の主張が認められて順位が確定した。
裁定が下るま
で3時間半もかかった曲折も、日本競歩界初の五輪メダルを味わい深いものにしている。

「仮に失格でもベストを尽くして歩き切れた。解放感で結果はどうでもいいやって思っていた」
というのは後日談。内田さんからは「石ころを拾って磨いたらダイヤだった」という嬉しい言葉をもらった。

所属の枠を超えて合宿を重ね、国際審判員を招くなど。
世界を見据えた日本の強化の流れも新井の成長を後押ししていた。
現在は50kmから35km二種目が置き換わっているが。
「50kmのスタートラインではいつも歩き切れるか恐怖。終盤には理性より感情が優位になる。
涙が出てきたり、叫びたくなったり、冷静さを失ってくる。その感覚は他の距離では味わえない」。
50kmを主戦場にしてきた矜持だろう。
(  日経  引退模様より   競歩  荒井広宙  )