原点は「竹下の黒子」だ。
竹下登元首相の秘書として竹下氏譲りの気配りと腰の低さで政財界に人脈を築いた。
1986年の参議院選で初当選後、竹下派の後継会長争いで同派が分裂した際は。
小沢一郎氏に対抗し参院竹下派の大半を小渕恵三氏支持でまとめた。

  青木氏が無名だった時代、同党の村上正邦元参院議員会長が党執行部入りを打診すると。
「イエスマンにはなりませんよ。ブレーキ役でいいなら乗ります」と告げられたと村上氏から聞いた。

  自らの人事には関心を示さず、就いた閣僚ポストは、小渕、森喜朗内閣の官房長官のみ。
仲間に譲ることで逆に党内で自らの求心力が高まることをわかっていた。
  ( 日経  参院束ねた「政局の人」より  )