ただ、カルチャーショックが大きかったのはむしろ、日本に帰国した時だった。
まず、なぜか本来より1学年下になったのだ。なにより横並びが徹底された日本の学校の習慣には面食らった。

   ある時、1週間分の宿題をまとめて提出したら先生が怒り始めた。
「ここは日本。アメリカじゃないんんだ」と言われたが、いまだに意味が分からない。

「なんで僕たちが掃除するんですか」と聞くと怒鳴られた。
米国の学校にはたいてい掃除の方がいるので、素朴な疑問として聞いただけなのに。

   髪形や服装まであれこれと口出しされることには、憤りを通り越して子供ながらにあきれたものだ。
私はこの後、父の転勤にともない10代を通じて日本と北米を行き来することになる。

   4年間のニューヨーク生活の後に日本に戻り、小学6年になるとカナダのトロントに。
2年半で東京に戻ってしばらくすると、次の行き先はサンフランシスコだった。

   どこに行っても大なり小なり異なるカルチャーにぶつかる。
どこに行っても周囲から異分子と見られ、孤独の中から前へと進むことになる。

   いつもそうだった。振り返れば貴重な経験であり、「『異』なるものの力を取り込むという。
経営者としての信念の土台になったと思う。

           (  日経  私の履歴書 より  平井一夫  ソニー元社長 )